明けましておめでとうございます。
今年もOUT老は元気です。
阿部Pが、また内幸町ホールで、
劇団俳優座代表で女優の岩崎加根子さんと
朗読の会に出演します。
眠くならない朗読、迫力のある朗読を
聞きに、ぜひお越しください。
「第二回 岩崎加根子と和三凡」
日時2018年1月26日(金)13:30
会場:千代田区立内幸町ホール
(東京メトロ三田線内幸町駅A5出口より徒歩4分)
開場:13:00 終演予定:15:30
出演:岩崎加根子 阿部義 坂本有子 宮崎弥生
深澤真理子 本間恵子
料金:2,500円(全自由席)
このブログでもおなじみ(?)の演出家、
OUT老中島悦代の「楢山節考考」の作家・演出家でもある
多賀谷忠生さんが、このイベントの中心となる
山本周五郎作「明暗嫁問答」の構成・演出を行います。
その演目の出演者は、「和三凡」の三人、阿部、坂本、宮崎
すなわち、「和みを語る三人の凡人」(チラシの解説より)。
岩崎加根子さんは、この催しの第一回で
小泉八雲の怪談から一編を、演じるというか、
朗読するというか、とにかく凄みのあるパフォーマンスを
なさった方ですが、今年は
「中務の大輔の娘、婢となる話」(今昔物語より)を朗読。
「中務」は「ちゅうむ」と読むのかしら、「大輔」は、
百人一首の「伊勢大輔(いせのたいふ)」のように
「たいふ」と読むのかしら、
偉い人の娘が、身分を落とす話かしら
などなど、興味は尽きませんが、第一回のときの
「雪女」が、多くの人に知られる話だったのに比べて
知名度は低そう。
これをまた迫力たっぷりの朗読に、岩崎さんが
仕立て上げるのですね。
楽しみ、楽しみ。
☆☆☆
話は変わって、芝居と台詞の話。
昔、ある芝居の稽古に通っていたとき、
稽古終わりの帰り道で、共演するベテラン女優さんに、
アマチュア役者の私は、こう聞かれました。
「シマカワさんは、あれは二十五年前、街に※※※の
▲▲▲が流れていたとき、という台詞が言いにくそうですね」
※※※には歌手名が、▲▲▲には曲名が入ります。
私「そう、いつもそこでつっかえて申し訳ない」
女優「いえいえ、なぜそこでつかえるのかなあと思って」
私「なぜでしょう。役の人物の生きてきた道を想像して
その人になるつもりで話しているけど、ここで曲名だけなく
歌手名を言うのが、ぴんとこなくって、・・・・すみません」
女優「シマカワさんは、あれは25年前、街に▲▲▲が流れて・・・と
言いたいのですね」
私「でも、脚本家と作曲家は共に著作権を大事にする人だから、
やはりここは作曲者名であり歌手名でもある固有名詞が
必要なのかしら、きっとそうだと頭ではわかっているのですが」
とか、
女優「それと、ベランダに出たとき・・・の台詞も言いにくそうですね」
私「ええっ? それも感じましたか!」
女優「ええ」
私「実際に、あの場面を3つのマンションで試してみたけど、
そうはならない、隣接するマンションに写る明かりを見て
いるのかもしれないからなどと、自分に言い聞かせ、台本どおりに
やろうと思うのだけど、どこかでオカシイと感じているからかしら」
女優「なるほど、言われてみればそうですね」
私「見えないものを、見たということがイヤで、感じた、と勝手に
言い換えたときもあるけど、感じた、では、言葉が重過ぎて、
結局今は台本どおりに、見た、と言ってます」
女優「腑に落ちないから、言いにくそうなのね」
私「でも、作家のイメージ、描く絵は大事と思うから、今は台本どおりに・・・」
とか、お話ししました。
なんだか、精神分析医のよう。それも「耳」の力、
聴く力のすぐれたお医者さん。
その夜、私は自分の台詞がつかえるところを再点検。
腑に落ちないから言えないのなら、作家や演出家に
投げかけてみるのも一法と、その女優さんに教えられた気がして、
心あらたに台本を読み直したものでした。
果たして、その結果は。
いつか、また、このブログに書きますね。
またまたとりとめもなく、オヤスミナサイzzz